父が一時的に喋りにくくなっている時に、携帯電話を取り上げたことがありますが、あんなに叱られたのにはビックリです。
父にとって携帯電話は、何だったんでしょうか?
とぶさんはその時、父の気持ちをわかったあげられませんでした。
目次
父と携帯電話の関係
自宅では
基本的によそからの電話は、自宅の固定電話にほとんどがかかってきていました。
誰に携帯電話から電話をするわけでもなく、どっかからもそうそう携帯電話にはかかってこない状態でしたが、常に首からストラップをかけて携帯電話を左の胸のポケットに入れていました。
とぶさん自身は外出するときは、携帯電話を携帯しますが、家にいる時はほとんどどっかに投げっぱなしのことが多かったです。
なので、父が自宅いる時でも肌身離さず携帯電話を持つことに違和感がありました。
病院で入院中は
病院で入院中は、ほぼ毎日のように家族の誰かが病院に行くのですが、来る時間が遅くなると携帯電話で、『今日はいつ頃来るの?』という催促の電話をしてきていました。
病院に入院中は、自宅電話かとぶさんの携帯電話に頻繁に電話していました。
やはり入院中も、肌身離さず携帯電話を持っていました。
介護施設では
長期間のショートステイで施設に宿泊するようになってからは、とぶさんが毎週面会に行く前々日くらいから、『いつ面会にくるんだったかいな?』という電話をするだけになっていたようです。
それ以外の人には電話することがないのですが、面会に行くとやっぱり首からぶら下がっているのは携帯電話と、施設のコールボタンの両方でした。
父から携帯電話を取り上げる
父が硬膜下血腫になり、ちょっと言語障害も出てきていて、滑舌も悪く何を言っているのかもわかりにくい状態になっていました。
そんな状態なので自宅の固定電話は、父のベッドの周辺から別の部屋に移動し、とぶさんが出ていました。
満足にしゃべれないので電話をかけることもないと思っていたのにも関わらず、何を思ったのか、自分が話したいと思った相手にどんどん携帯電話を仕出すではありませんか。
電話がつながっても、言いたいことが思うように相手に伝わらないので時間ばかり浪費して、相手の人にも迷惑がかかっているようだったので、携帯電話を一度取り上げたことがありました。
父の激怒
取り上げた瞬間に、父から『携帯電話をすぐに返せ』と、すごい勢いで怒られました。
生まれてこの方、こんなに厳しく叱られたのは初めてだったので、びっくりするのと同時に、ショックを受けたのも事実です。
あまりの激怒に、すぐに携帯電話を返したのをハッキリと覚えています。
携帯電話への執着
父の携帯電話に執着する姿勢はすごいものだと感じました。
というのも深夜に目が覚めると、とにかく何度も携帯に着信がなかったかを確認しているのを何度も目撃しました。
起きているときは首から携帯電話を吊り下げていないと、なぜか不安なようです。
携帯にもそんなに電話はかかって来ないのに、いつも誰かからの電話を待っているようにしていました。
父が亡くなって思うこと
電話に執着しているということは、誰かともっと話をしたかったということだったのかなあと、父が亡くなった今となって思うことです。
車の免許を返納してからは、めっきり外出することも減り、人と話すことも少なくなったので、もう少しとぶさんが父を話をしたい人のところへ連れて行って、楽しく話をさせて上げればよかったと思い返しています。
いつだったか携帯電話を新しい機種に変更したいと、言っていたのですが、必要ないと却下していました。
今から思うと、好きなようにさせてあげればよかったと悔やまれます。