両親ともに介護することになり、自宅で介護しながら稼ぐことをしなければならなくなりまいした。
当時、サラリーマンだったとぶさんは、どのようにして介護しながら稼ぐことをしたのかをお話したいと思います。
目次
突然の介護が始まる
両親も元気に暮らしており、とぶさん夫婦も両親と離れて普通に生活していました。
その休日も、両親の暮らす実家に遊びに行っていて夕方になり、別れてとぶさん夫婦は自分のマンションへ帰宅してしばらくのことでした。
実家の父親から電話があり、母親が夕食の準備中に倒れたとの連絡でした。
すぐに救急車を呼ぶように言って、とぶさんは救急車で運ばれた救急病院に急ぎました。
母は脳出血で倒れているが今すぐ命に別状はないとのことでしたが、70代後半でもあり脳内の血液を取り除く手術までするのは危険性が高いということで、自然に出血が吸収されるのを選びました。
すぐにリハビリを開始したのですが、右半身のマヒ状態になり、介護が必要な状況に突然なってしまったのです。
完全に右手・右足が動かないので、要介護5という介護認定を受けることになりました。
在宅介護していくためには
リハビリ病院での入院期間は最長180日となっていて、母も6ヶ月すると自宅に戻ってきました。
自宅での介護が始まりました。
母が自宅介護になった直後は、父親も元気で母の面倒を見ることもできたし、嫁も専業主婦だったこともあり、私がサラリーマンとして仕事をしていても、自宅で母親を介護することは可能でした。
私が母の自宅介護を手伝うことができたのは、平日の夜と休日くらいでしたが、家族3人で協力してうまく自宅で母の介護をすることが出来ました。
サラリーマンでは介護が難しくなった
父がガンになって入退院を繰り返すようになると、介護の状況は大きく変わりました。
母の介護だけでなく父の介護も必要になってきたからです。
私の実の親を両方ともに嫁に見てもらいながら、サラリーマンとして外で働くには限界がありました。
嫁への介護負担が大きくなり過ぎて、それが大きなストレスとなって夫婦間の仲も悪くなり家庭崩壊もあり得る状態になってきました。
その頃はまだ、家族の介護が会社でもあまり認知されていない状況で、父母の介護のために有給を頻繁に取ったりするのはよく思われない時代でもありました。
全国展開の会社で、転勤を長年断るのも心苦しい状況でもあったからです。
究極の選択ですが、嫁にこれ以上大きな負担をかけるわけにもいかず、両親を介護するために介護離職を選ぶことになりました。
介護しながら稼ぐには
介護をしていると病院への通院や病院での待ち時間、介護している親が静かに寝ている時間などのスキマ時間を利用して仕事ができないかと思いました。
時間帯や場所を選ばずにできる仕事がないかと考えました。
現在はパソコンとインターネットの環境があれば、自宅で内職ができるようになっています。
インターネットを活用したネットビジネスで色々な働き方が可能になりました。
ネットビジネスのメリットは、
ネットビジネスにも色々ありますが、始めるに当たっては、仕事の依頼を受けてするタイプのものと、自分が個人事業主(フリーランス)となって仕事を作っていくタイプのものがあります。
毎月確実に収益を得たいのであれば、仕事を紹介してくれる仲介会社を利用して仕事を紹介してもらうクラウドソーシングと呼ばれるものです。